「なりたい自分になるのに遅すぎるということはない」
学生の時何かの拍子に出会った言葉。著名人の名言。
学生のころはこの言葉に憧れていた。いつでも何にでも挑戦できると元気をもらった。
しかし年齢を重ねるにつれ、いつの間にか月日は過ぎていき、
自分が社会の一部、組織の一部になり、
自分が自分でなくなっていった。
こういうことに気づいていても、役割を持ってしまった以上簡単には去れないし、
やるべきことが止めどなく向かってくる。
そうこうしているうちにどんどんと時間が過ぎていった。
立ち止まり方向転換することが難しい。
「なりたい自分になることができる。」「いつでも始められる」
頭では分かっていても、目の前の現実をバッサリ切り捨てる方法がわからない。
だからいつまでも抜け出せない、始められない。
そう思っていた。
最近大きなチャレンジを始めた。
どうなって行くかわからない。まだ未知。全く予測がつかない挑戦。
全然だめかもしれないし、やり切って大きな成果を得られるかもしれない。
人生が大きく転換するかもしれない、そんな挑戦。
これのきっかけは簡単。
友人との会話がきっかけで「ちょっとやってみよう」と思ったからやってみた。
まさかこんなに出だしがうまくいくとは思っていなかった。
きっかけは簡単だけど、やってみたい気持ちは幼いことからずっとあった。
心のどこかで早々に諦めていたから、意識してなかったけど、ふとしたきっかけで思い出し、
「やっぱりどうしてもやってみたい」とダメもとで挑戦してみた。
そうしたら出だしが順調に進んだ。
だけど、これまでも、同じくらいのテンションでやってみた挑戦ってあったかもしれない。
これまではただうまくいかなかったから、挑戦自体を忘れているのかも。
今回たまたま引っかかれただけ。私の資質が活かせそうと、ピースにハマりかけているだけ。
だけどこの「ちょっとうまくいった」成功体験ってすごく大きな経験かもしれないと思う。
これからも、諦めていたことへ挑戦してみようという契機になるだろう。
試行回数が多いほど物事の成功確率は高い。
何度でも何種類でも挑戦してみないと、何が当たるかわからない。
人生は80年ほど続く。
今日この瞬間を生きていると、80年なんて長く感じる。
だけどぼーっとしているうちにやる気はそがれ、自分を失い、
誰かの一部を担う人間としてだけ生きることになるかもしれない。
心ここに在らず、自分を失って過ごす時間は、自分の人生と言えるのか?
誰かの役に立つこと、社会の一部として機能することはいいことなんだろう。
だけど、自分の意思を持たないことに時間を使い、
いつの間にか年齢を重ねて行くことはいやだ。
年齢を重ねてしまったばかりに挑戦のハードルが上がっって、
結局やりたいことのできなかった人生になってしまうことが嫌だ。
少しでも挑戦する。
好転の歯車を回していきたい。