中学生までは癇癪を抑えられずに爆発させていたかもしれない。
思い通りに運ばなかった時に、感情がMAXまで積もって癇癪を起こしていた。
だけど高校に上がる頃には、感情処理に工夫ができてきて、癇癪まではならなくなった(その代わり感情表現が苦手になったかもしれない)。
「想い通りに」という言葉だと、自分勝手な印象を持つかもしれないけど、自分が期待するパフォーマンスがだせなかった時に「あ〜〜!もう〜〜!」とボルテージが上がっていく感じ。
自分の振る舞いに対する期待が高かった。実力以上の結果を出せる、出したいと思っていたのかもしれない。
これについても、自分の結果に対する期待値を下げることで対応していった。
この二つの影響で、私は感情表現が苦手だし、自分にも諦めをつけるようになった。
(元々完璧主義で努力家で負けず嫌いだったけど、競うことが嫌になったし、「合格」がある挑戦が苦手。ちょっと脱線する話かもしれないけど。)
そうやって社会に適応するために自分の良さ、爆発力を削いでいったように思う。
そんな経緯に気がついて、こうして文章にしてみている。
自分にもっと期待しよう。癇癪を気にせず、自由に制限なく緒戦しよう。できなくてもいい。
自分を解放しよう!
(HSPというくくりだけれはないかもしれないけれど)
癇癪の裏にある事情をよく考えて、爆発力の兆しを削がないように接してあげて欲しいです