苦手なこと、何故やらなくてはならない?
私の母親は平均を求めていた。平凡を求めていた。成績を褒められたことは無いし、悪いところばかり指摘されていた。長所を褒められたことがない。これは、褒めるのが恥ずかしいとかそういうことで許されない。教育の失敗だ。
怒っている。
母が教育を怠ったからに、私は自分の欠点ばかりを直そうとしてきた。
私が苦手なことに直面した時、世間の声が聞こえる。「出来て当たり前」「なんでそんなことが出来ないの?」「なんで普通にできないの?」
こういう言葉が頭を支配して、頑張る。
だけど気づいた、もう私だっていい大人。
苦手なことをサボったって、母は見てない。バレなければ何も言われない。
出来ないことがあってはならないのか?そんなことは無い。
誰だって得手不得手はある。私にとって、それが苦手だった、ただそれだけの事。得意なことだってある。
植え付けられた価値観によって、欠点をカバーしようという思想に縛られるのは嫌だ。
私は私らしく輝きたい。広告のキャッチコピーみたいだけど、本当にそう思う。私らしく輝きたい。
つまり、私は私の得意や思考によって、力を発揮したいのだ。欠点のカバーに時間を使っている場合じゃないの。
親の思想の影響は強い。まるで産まれたてのヒナの刷り込み効果のよう。
これを再構築するのは大変かもしれない。
第2、第3の反抗期。アイデンティティの破壊と再構築!
私は毎朝、日記を書く。
その時、自分に問いかけてるのは、「人生の今日という日は、どんな日?」my life, my life, 私の人生。
人生を意識して、毎日を過ごすようにしてる。
だから、過去に囚われず、これからを構築していけるはず。未来を見てるから、大丈夫!